7. 生物にとって性とは何か
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「性」という言葉
この定義によれば、減数分裂をもたないバクテリアには性は存在しないことにいなる
これと同じ意見はかなり多い
原生動物学の大家、カール・グレルは繊毛虫の接合型は性ではないと主張する 彼によると、繊毛虫の接合型は顕花植物に見られる自家不和合性に近い減少で、ある点で性と相似ではあるが性と呼ぶべきではないという ここには明らかに高等生物をもとにした性の概念の適用が見られる 色々な生命現象を表現する言葉は、非常にしばしば高等動物の示す現象から抽出された概念をもとにして作られる
高等動物をもとにして創られた「性」の概念では、正には雌と雄の二種類しかなく、雌と雄は形で区別ができ、そして、性は生殖の唯一の手段
このような概念の下では、ゾウリムシやバクテリアの性は性ではないということになってしまう
しかし、雌雄性や、両性であることから切り離され、また、生物の増殖の手段からも切り離されても、私たちはゾウリムシやバクテリアの性に、高等な生物の性と共通なものを直感的に感ずる
それは性の持つ重要な意味における共通性
こうなると「何が性か」という問いかけは、「性の意味はなにか」という問題と切り離せなく成る
バクテリアの性は「性」か
性がいろいろな生物で見つかってきたとき、それが性であると判定する基準になったものは、それが個体レベルの交接であろうと細胞レベルの接着であろうと、性を異にするものの間の結合であろう
ところが、バクテリアで性が発見されたのは、バクテリアの細胞が接合しているのを観察した結果ではなく、遺伝子組換えをもとにしている https://gyazo.com/792e6440deec0688db87dcdd7c993bc2
栄養要求性の突然変異株は最少培地にさらに別の物質を加えてやらないと育たない
前者はビオチンとメチオニンを合成する遺伝子に欠陥があるが、プロリンとスレオニンを合成する遺伝子は正常
後者は、逆
一緒にしたら両方の正常な遺伝子が一緒になったものが現れた→遺伝的組換え
メンデル以来古典遺伝学は、有性生殖が遺伝的組換えを生ずることを利用して遺伝子の存在を把握してきたが、この実験はこれを逆に利用して、遺伝的組換えの存在から有性生殖の存在を推定したことになる
この論法は遺伝的組換えが性の存在なしには一切起こらない場合にだけ成立する
ところが、この実験が行われる以前にバクテリアでは、DNAによる形質転換という現象がすでに知られていた 外から加えられたDNAが細胞内に入り遺伝的組換えを起こすこと そこで、遺伝的組換えだけでは性の存在を証明したことにならないことになって、持ち込まれたもう一つの証明の手段が細胞の接着
しかし、接合の直接的観察ではなく、ここでも逆の論理が使われている
二つの違う突然変異株をまぜて培養すると野生型が生ずるが、物質は通すがバクテリアの細胞は通さないフィルターをへだてて培養すると野生型は出てこない、という実験
実際にバクテリアの細胞が接着している場面が、電子顕微鏡で我々の目の前に姿を表したのは、遺伝的組換えの発見から10年以上たってから
「性」の定義
これまで述べてきたバクテリアの性の証明の実験の中に、バクテリアを含めたすべての生物に通用する性の定義の内容が含まれていると私は考える
「細胞接着を介して遺伝的組換えを行うためのしくみ」これを性と定義すると、卵や精子を作る生物だけでなく、減数分裂をもたないバクテリアも、接合型の多い繊毛虫やキノコも、みな性をもっていることになる ところが、この性の定義だと一つ困ったものが含まれてしまう
菌糸の細胞が融合し、単相($ n)の核が複相($ 2n)になり、またこれが単相になる過程で、このとき遺伝的組換えが起こる これをパラセクシュアル(疑似性的)とよんだのは、一方で同じカビに減数分裂をともなった核の単相と複相の交代と、これにともなう遺伝的組換えがあり、これが本当の性だと考えたから したがって、彼のパラセクシュアル・サイクルという概念を認めると、バクテリアのせいはせいではなくパラセクシュアル・サイクルの中に含まれてしまう
実際には、バクテリアの性だけでなく、形質転換、形質導入、さらにはウイルスを混合感染させたときにウイルスの核酸の間に起こる遺伝的組換えまで含め、広く減数分裂によらない遺伝的組換えを、すべてパラセクシュアル・サイクルに含める考え方さえある
このような考え方を認めてしまうと、性の定義はグラハム・ベルと同じ、昔の定義に戻ってしまうことになる
そこで性を次のように定義する
カビのパラセクシュアル・サイクルでは細胞の融合はランダムだから、特定の相手を識別してはいない
この点では、最近いろいろな研究に使われる異種間での細胞融合と同じ 細胞融合法を使うときには融合はランダムで異種間のほかに同種間でも起こるから、特別な方法で異種間で融合したものだけを選ばなければならない ところが、バクテリアの接合では、細胞接着はF線毛と呼ばれる接合期間をもった雄菌と、これをもたない雌菌の間で起こる このとき、雄菌同士、雌菌同士の接着も同時に起こっていれば相手の識別はないことになるが、私の知る限りではランダムな細胞接着が起こるという話は聞いたことがない
これは細胞レベルでの定義だから、性器官の違いや、個体の性別の問題は度外視している
これらは、性と個体の増殖との結びつきをも含めて、生物の進化の途上で後から付加された新しい性の属性であると考えればよい
性と遺伝的組換え
Why - 生物の性はなぜ存在するのか
科学で答えられるのはHow?だけ
そうだとすると、性についてもわれわれが答えられるのは、いかにして性は存在するようになったか、という問い
性の起源の問題、生物の進化における性の意義の問題
性をもつことが進化的に有利である根拠として、いろいろな説の中で一番多く取り上げられ、重要と考えられているのは遺伝的組換え
彼の考えた遺伝を支配する粒子デテルミナントが、有性生殖で混合することを重視している点では、遺伝的組換えを重視する考え方のはしりであるとも考えられる 集団遺伝学者の主張
マラーは1932年に「性のある遺伝学的観点」と第する短い論文を発表しているが、この中で、性は組換えを通じて遺伝子突然変異のもつ可能性を最大限に発揮させる手段であるといって、その理由を二つあげている
重要性の少ない方
種にとって永続的に有利な遺伝子の組み合わせを作り出すこと
もっと重要で組換えの主要な価値になるもの
マラーのこの後の方の理由付けを、さらに集団遺伝学的な精緻な論理に組み立てたのが、アメリカのウィスコンシン大学のJ・F・クローと日本の国立遺伝学研究所の木村資生、そして太田朋子 https://gyazo.com/9adb2102b7b60e3d0a870e8a3fc897d2
別々に起こった突然変異が遺伝的組み換えによって同時に一つの集団の中に取り込まれる
集団の大きさが小さい場合には、この両者の違いはほとんどない
この考え方は、突然変異の中で稀に起こる有利な突然変異に注目した場合の考え方
有性生殖の有利さは、集団が大きく、突然変異率が高く、そして突然変異のもつ選択有利性があまり高くないときに最大になる、という結論
このほかに、性の進化における利点を遺伝的組換えに求めるたくさんの説が出されている
反対に不利な突然変異遺伝子の集団からの排除に重点を置くもの
遺伝的組換えが少数の極端に選択有利性の高いものを生ずることを重視するもの
遺伝子間の相互作用を重視するもの
環境の時間的変化ではなく空間的な違いに対して有利であると考えるもの
食う食われるの関係から見ようとするもの
性のパラドックス
なぜなら、性比が一対一だとすると、無性または単為生殖の場合、子供の数は親の数に一個の親が生む子供の数をかけたものになるが、有性生殖だと親の半数は子どもを創らない雄だから、子どもの数は50%に減って損をする しかし、彼らも認めているように、これは環境の変化がなく、しかも短い期間で考えた場合の話であって、長期的に考え、環境の変化を考慮すると、遺伝的組換えのない無性生殖や、あっても組換えの範囲の狭い単為生殖は、有性生殖に比べて「性の出費」がなくても不利であることは明らか
いずれにせよ、性の重要な意味は遺伝的組換えにあるのだが、有性生殖による遺伝的組換えの利点をどこに置くかで色々な考えが分かれてくるようだ
性の識別と種の分化
もう一つの性の意味
「細胞が特定の相手を識別してこれと接着し、この細胞接着を介して遺伝的組換えを行うためのしくみ」の前半
性的隔離の中に、遺伝的組換えと密接に関連した性の重要な意味が含まれていると考える 性的隔離がなかったらどうなるか
性によって遺伝的組換えは起こるが、性的隔離がまったくないと、生物は相手かまわずどんな生物とでも遺伝子の交流ができることになる
遺伝学の言葉でいうと、全生物が遺伝子プールを共通にする、ということ こういう状態だと仮に時間的に、あるいは空間的に違った環境が与えられると、選択によってそれぞれの環境に適した違った生物は出現するかもしれないが、このような違いは可逆的であって、原則的にはいつでも元に戻れるはず
同じ場所に多種多様な生物が共存するということはなくなってしまう
したがって、性的な相手を識別することによって、遺伝子の交流のできる相手とできない相手の違いが生ずることは、生物に多様な種が分化するための本質的に重要な意味をもっている
生物が無性生殖だけで増えても生物の多様性はできるだろう
しかし、この場合には多様性を作る機構は突然変異だけとなり、進化の速度ははるかに遅くなる 性的隔離によって生物進化の基本単位である種分化が促進された 生物はこの基本単位ごとに独立に進化することによって、はじめて現在のような生物の多様性が作り上げられた
この多様性によって、単一な種集団よりはるかに安定した生態系という生物のシステムが可能になった 性的隔離はどのようにしてできてくるか
すべての生物の形質が突然変異と遺伝的組換えによって作られるように、性的隔離の機構も突然変異と遺伝的組換えによって作られるはず シンジェンと種
主に形態的な特徴ではじめに分類されたゾウリムシやテトラヒメナの種は、接合型の発見によって、多くの性的に隔離された集団すなわちシンジェンの複合体であることが明らかになってきた 性的に隔離された生物の集団は種と考えていいのだが、種の記載ができないという実用的な理由から、はじめは種と呼ばずにシンジェンと呼ばれた
しかし、その後の研究で、生化学的な特徴ではっきりと区別できるようになり、ヒメゾウリムシとテトラヒメナでは、シンジェンは種名をつけて種として扱われるようになった ところが、事情がかなり違うことが私の研究室の月井雄二によって明らかにされた ところが、ときにこの識別が不完全で、違うシンジェンの間に接合が起こることがある
このようなシンジェン間雑種は生きられないか、あるいはときに生きられても不妊になるのが普通
そしてこの性質こそが、シンジェンが種にほかならないことの重要な根拠
この事実は、シンジェン間の性的隔離の機構が、性的凝集反応のところだけでなく、別な段階でも働いていることを物語っている 一般に性的隔離の機構は多種多様
動物を例に取れば、相手の性の感覚器官による識別、発情期の時期的な違い、体形や生殖器官の形態による交尾不能、精子と卵子の接着不能、精核と卵核の合一不能、さらには減数分裂時の染色体の対合の不能など、このほかにもまだたくさんあるだろう これらの中の一つだけではなく、複数のものが重なって異種の間の交雑を不可能にしている
ゾウリムシと種の分化
私はゾウリムシでも、シンジェン間の性的隔離はそう単純ではないと考えていたが、予想に反して非常に単純だった ゾウリムシではシンジェン間の性的隔離は、接合型を混ぜたときに起こるはじめの性的凝集反応だけに依存していて、これ以外にはほとんど隔離の機構が存在しない
だから人為的にこの凝集反応を経ないで接合させると、シンジェン間雑種はシンジェン内の接合と同じように高い生存率と妊性をもっている シンジェン間に雑種不妊がまったくないとなると、シンジェンの違いがどういう遺伝子で支配されているかをメンデル式の交雑実験で調べることができる 月井がたくさんの交雑実験から明らかにした結果は、シンジェンの違いはMt, MA, MBという3つの遺伝子によって決まるということ
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このような接合型のシンジェンによる違いの遺伝的制御のしくみがわかってくると、遺伝子の組み合わせをいろいろ変えて、自然には存在しない接合型の細胞を作ることができる
Mt遺伝子をヘテロにしたり、トリソミーを作れば、一つの細胞で二種類あるいは三種類の性(接合型)をもつものができる 一方、MAとMBが全く違うシンジェンだけのものを作ると、これは性のないゾウリムシになる
しかし、この性のないものの相手がMtの突然変異で作られると、ここに新しいシンジェンが分化することになる
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もしこの最後の例を実験的に作ることができれば、新しい種の分化への出発点を作り出したことになるだろう
ヒメゾウリムシとテトラヒメナでは、生化学的な特徴でシンジェンを同定できるようになり、シンジェンは「種」に格上げされた
このとき使われたのは、いろいろな酵素の電気泳動度の違い 電気泳動はタンパク質を電場においたときに、分子の大きさや電荷によって移動度が違ってくることを利用して、タンパク質の違いを調べる方法 酵素タンパク質では、同じ酵素作用をもつが電気泳動度の違うものをアイソザイムとよんでいる ヒメゾウリムシやテトラヒメナでは、シンジェンによって、色々な酵素のアイソザイムが違うので、これを利用して種の同定ができる
それだけではなく、違う種の間でアイソザイムの違う酵素の割合を調べることによって、種分化してからの時間の経過がわかる
私たちは、性的隔離がまだあまり進行せず、隔離のしくみが非常に単純なゾウリムシで、シンジェン間のアイソザイムのパターンの違いがどの程度なのかを知りたいと思った
彼のところのM・カーデムという学生が、ゾウリムシのシンジェンあいだのアイソザイムの違いを調べようとしているので、できるだけたくさんの株を送ってほしいという 私が送った株と英国で採集した株を合わせて87の株を使い、9種類の酵素のアイソザイムを比較したカーデムの結果は、シンジェン間に大きな差はないということ
カーデムはこの結果に落胆していたが、私は反対に喜んだ
この結果は、ゾウリムシのシンジェンがヒメゾウリムシやテトラヒメナに比べて、性的に隔離されてからあまり時間がたっていないことを裏付けている
月井のその後の研究によると、ゾウリムシのシンジェンの性的隔離は、はじめの凝集反応だけでなくもう少し進んでいるもの、たとえば減数分裂に異常がでてくるものなども見つかっている
ギルマンによれば16もあるというゾウリムシのシンジェン、これを片っ端から調べていけば、性的隔離の色々な段階、言い換えると種の分化の初期のいろいろな段階を目の前にすることができるかもしれない
ゾウリムシの仲間である原生動物の繊毛虫類は、種の分化の研究の一つの宝庫であるといえそうだ ゾウリムシが語ってくれる「性」の意味は、種の分化の原動力ということではないだろうか